2020年度法要・行事(報告)


4月25 日(土)「春定会・降誕会」(法話掲載)

 平成10年より京都の本願寺に22年間奉職させていただきましたが、この4月1日より本願寺広島別院に勤めることとなりました。初めて広島別院で勤めることになり、慣れない地での生活のため緊張の連続です。
 そんな中、初めて4月8日6時30分からの広島別院のお晨朝にお参りしました。お参りに行く途中、別院周辺を掃除してくださるご門徒の側を「おはようございます」と言って通り過ぎようとしたとき、その方が「今度、別院にいらっしゃった方ですか?お待ちしておりました。〇〇と言います。どうぞ宜しくお願いします」と声をかけてくださいました。
 私はホッとしました。声をかけてくださるということは、存在をわかってくれる方がおられるということです。そうだった、阿弥陀如来さまも声の仏さまとなってくださってあった。南無阿弥陀仏とお念仏を申す声は、私が申している声であるけれども、それは、「あなたは独りじゃないよと、私がついているよ」と、阿弥陀如来さまが働いてくださっているお声だったと、振り返らせていただくことであります。そのことを親鸞聖人は正信偈で「五劫思唯之摂受 重誓名声聞十方(現代語訳:五劫もの長い間思惟してこの誓願を選び取り、名号をすべての世界に聞こえさせようと重ねて誓われたのである)」とお示しくださってあります。

 私たちは、日頃、さまざまな思いで生活をしております。他の者にはささいなことに思えても、自分にとっては大きなことと感じることがあります。逆に他の方にとっては、大変なこととして感じられるのに、自分にはそんなに感じられないこともあるでしょう。その代表的なことが、生老病死のことではないかと思います。
 しかし、その不安を分かってくれる人に出会えたとき、私たちはこの上ない喜びに包まれます。そして、仏さまは私に対して「あなたは独りじゃないよ、わたしがついているよ」といつもお心を向けてくださってあります。有り難く、もったいなく思うことであります。生老病死や人生における悩みというものが、逆に、人々のぬくもりや仏さまのお慈悲を感じるご縁となり、私たちもできるだけそのようなあたたかな人間にならせていただきたいと、私たちを育ててくださっていることでもありましょう。

 いまのご時世におきまして、健康や命に考える機会を与えられたことであります。この度の「春定会並降誕会」はお寺でのご法座はございませんが、より一層、お念仏申される生活を大切にされることを願っております。