2020年度法要・行事(報告)

「春定会並降誕会」(中止につき法話のみ掲載)

 平成10年より京都の本願寺に22年間奉職させていただきましたが、本年4月1日より本願寺広島別院に勤めることとなりました。
 初めて広島別院で勤めることになり、慣れない地での生活のため緊張の連続です。そんな中、初めて4月8日6時30分からの広島別院のお晨朝にお参りしました。お参りに行く途中、別院周辺を掃除してくださるご門徒の側を「おはようございます」と言って通り過ぎようとしたとき、その方が「今度、別院にいらっしゃった方ですか?お待ちしておりました。〇〇と言います。どうぞ宜しくお願いします」と声をかけてくださいました。
 私はホッとしました。声をかけてくださるということは、存在をわかってくれる方がおられるということです。そうだった、阿弥陀如来さまも声の仏さまとなってくださってあった。南無阿弥陀仏とお念仏を申す声は、私が申している声であるけれども、それは、「あなたは独りじゃないよと、私がついているよ」と、阿弥陀如来さまが働いてくださっているお声だったと、振り返らせていただくことであります。そのことを親鸞聖人は正信偈で「五劫思唯之摂受 重誓名声聞十方(現代語訳:五劫もの長い間思惟してこの誓願を選び取り、名号をすべての世界に聞こえさせようと重ねて誓われたのである)」とお示しくださってあります。
 私たちは、日頃、さまざまな思いで生活をしております。他の者にはささいなことに思えても、自分にとっては大きなことと感じることがあります。逆に他の方にとっては、大変なこととして感じられるのに、自分にはそんなに感じられないこともあるでしょう。その代表的なことが、生老病死のことではないかと思います。
 しかし、その不安を分かってくれる人に出会えたとき、私たちはこの上ない喜びに包まれます。そして、仏さまは私に対して「あなたは独りじゃないよ、わたしがついているよ」といつもお心を向けてくださってあります。有り難く、もったいなく思うことであります。生老病死や人生における悩みというものが、逆に、人々のぬくもりや仏さまのお慈悲を感じるご縁となり、私たちもできるだけそのようなあたたかな人間にならせていただきたいと、私たちを育ててくださっていることでもありましょう。

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「総永代経法座」(2019.11.16)

 あっという間に夏が過ぎ、11月といえど本堂には当たり前のようにストーブが必要なくらいの気候となりました。最近、ご門徒のお参りにの際に、前住職・前坊守も年を取りました、とお話していることがあるため、一目会っておこうと感じられたのか、初めて本堂にお参りされる方も多く、参拝者(総勢40名)のお参りで賑わいました。
 ご講師は、長門市浄土寺の荻隆宣師。私が本山の勤めでお世話になっている先生でもあり、2020年法語カレンダーのお味わいの書籍を本願寺より出版されています。当寺への総永代経法座は2度目のご出講。
 2月3日といえば、節分があります。「福は内!鬼は外!」といくら豆をまいても叫んでも、わたしの胸の鬼は去りません。縁によってすぐに角を出し相手を責めています。こころの中は怒りや愚痴や欲望で一杯です。無くそうとしたって無くなりません。私の身はどこまでも「罪悪深重・煩悩具足の凡夫」だからです。この私を救うために弥陀の本願が起こされたのです。阿弥陀如来さまが立ち上がっていつも必ず救う「我にまかせよ」と働き続けていられるのです。もう私たちは弥陀のお慈悲にまかすしかないのです。もし私たちの煩悩が無くなったら、仏さまの仕事はなくなり仏さまと縁が切れるのです。煩悩があるからこそ、わが胸に鬼がいるから仏さまと遇えるのです。そう思ったら鬼も悪くないのかも知れません。「わが胸に鬼と仏が同居して、角を出したり手を合わせたり」とのお話をくださいました。
 ご往生されたご門徒を偲び、法話・法要を通し、お念仏申すご縁をいただきました。また、令和元年台風15号にかかる千葉県の物産展を開催しました。物産の手配を行ってくれた千葉県天真寺の僧侶・西原龍哉さんは、私の築地本願寺時代(平成19・20年)のサッカー仲間であり、東京教区のみならず多方面にてご活躍される布教使であります。永代経法座のご案内を出状して以降も台風19号で東日本は大きな被害があり、災害続きの日本列島でありますが、引き続き、被災地に思いを寄せていく取り組みを行えればと思います。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

御正忌報恩講(2020.1.18)

 冬の晴天に恵まれ、今年も御正忌報恩講をお勤めさせていただきました。約40名のご参拝。法要〔正信偈(草譜、行譜)〕・法話(住職)・台風19号の長野県復興支援の物産展。
 さて、法要に先立って、ご門徒のご家庭に行かせていただき、お取り越しをお勤めいたしました。お取り越しとは、何のことでしょう?「お取り越し」だけでは意味が分かりません。浄土真宗の門徒の方が、1月16日に行われる本山の御正忌報恩講を繰り上げ、各自のご家庭で行う報恩講を言います。
 お参りに行かせてもらった際に、若い方からは今日のお勤めはなんのお勤めでしたか、と聞かれることがあります。今日は、今日は、お盆の時期でもないし、じいちゃんやばあちゃんの命日でもないし、何にしお寺さん来ちゃったんじゃろうかと思われるのでしょう。せっかく立派なお仏壇がおありなのに、御位牌で親鸞聖人が見えなくなっていることもあります。
 振り返ってみると、私自身がそうなのかも知れません。御正忌報恩講に際して、前住職や前坊守が大切にしてきたものが、ないがしろにしてきている面も、私が住職を継職する前からお参りされている方は感じておられることもおありでしょう。前住職と話をしていたら、法要が終わると、ご門徒の皆さんのところに伺い、お陰で今年も御正忌報恩講をお勤めさせていただきましたと、ご挨拶に行っていたと伺います。それもまた、御正忌報恩講が大切であると態度で示す、大切な習慣であったと思います。
 最後になりますが、今年は「いのちをいただく」という紙芝居も行いました。子どもたち向けに行いましたが、年配の方々も懐かしく見てくださったようです。